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2015年08月23日

まみともの体験談 愛おしい命

~ティーカップが私…~

ある日、私は家で紅茶を飲みながら寛いでいました。

紅茶を飲み終えた後、何気にティーカップをみつめていると時が止まった様な空気感になり、ティーカップが私に見え出しました。

そのまま続けてみつめていると、今度はティーカップが輝き出しました。

それは命の輝きそのものでした。その命を感じていると、ティーカップがまるで我が子の様に思えてとても愛しくなりました。

その感覚でティーカップ以外の物を見ると、『その物は、私そのものであり、命であり、我が子である』という境地になり、そのまま周囲を見回すと全てがただただ愛しくてたまりませんでした。

それは初めて体験したという感覚ではなく、とても懐かしくて元々知っていたものであり、この体験によっておもい出したという感覚でした。

 


~アスファルトが愛しい~

いつもの様に塵芥収集の仕事をしていたある日の出来事です。

その日は、朝からなぜか良い気分でした。

ルンルン気分で仕事をしていると、愛しい想いが湧き上がり、見るもの全てが美しく見えました。

その境地で仕事をしながら道路を見ると、アスファルトが愛おしくてたまらなくなりました。

幸せいっぱいな境地でいることは良かったのですが、一つだけ難点というか困ることがありました。

それは、「ただ愛おしいという想いだけではなく、我が子のように思え見えてきて、抱きしめたくなる~すり寄りたいという衝動が起こったこと」です。


幸い?「そんなことをしたら、おかしな人と思われる!!」という理性が働き行動は起こしませんでしたが、イメージの中ですり寄って抱きしめ気持ちをおさめました。



また、別の日には…
電柱をじっとみていると、電柱が電柱ではなく「電柱という命そのもの」に見えてきて、むしょうに愛しくてたまらなくなり、電柱の一部をなでたりスリスリしました。 (ちなみに、周囲には誰もいませんでした)




その当時は意識~想いのコントロールが出来ず、やたらにスウィッチが入り易かったのでしょう。

けれども、その体験は『個としての私は「全体としての命なるわたし」であり、その「命としてのわたし」には境界線は無い。』
『命のわたしは子であると同時に親である』という大切なことを思い出すきっかけになりました。



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Posted by まみとも at 10:17│Comments(2)体験談と気づき
この記事へのコメント
おお!俺の体験談と内容かぶってる。なんか嬉しいわ。まみさん、ありがとね。ほな、台風気いつけてー(@^▽^@)
Posted by おくっち at 2015年08月23日 11:29
おくっちさん、こんにちは(^^)
これらの体験を通して、その気づきの方法をおくっちさんにもお伝えすることが出来ました。 あの、ペットボトルの件のように…。
いつもありがとうございます。
Posted by まみともまみとも at 2015年08月23日 15:19
 
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